「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)を考える日」制定に寄せて
医療ジャーナリスト/キャスター 森 まどか
医療技術の進歩やがん検診の普及によって、より早期にがんを見つけることが可能になりました。適切な治療を受けることによって“治る”ことを期待できる時代となり、がんへの対策がいっそう重要性を増しています。
2006年に「がん対策基本法」が成立し国をあげてがん対策に取り組んでいますが、同時に大切なのは、一人ひとりが“わたし”にできる対策を考えることです。性別、年齢、体質、環境、生活習慣など、がんの要因はさまざまです。医療技術は年々高度化し、医療を受ける環境も変化しています。情報をアップデートしながら、いま自分に必要なことを知り、できることを選択していくことが、将来の自分と、大切な人を守ることにつながります。
HBOCと遺伝子検査
女性でもっとも多く診断されているがんは、乳がんです。9人に1人1)が一生のうちに乳がんになると考えられ、著名人の闘病経験の公表も少なくないので、女性にとって身近な病気として認識されています。女性特有のがんである卵巣がん、子宮頸がん、子宮体がんについても気になる人は多いでしょう。
乳がんは、ほかの臓器のがんとちがい、自分で触って異変に気づきやすいという特徴があります。ふだんから自分の乳房に関心を持ち、定期的に見た目や触れたときの感覚をセルフチェックしていれば、しこり、引きつれやへこみ、分泌物などがあった場合にすぐに気づくことができます。自己判断せず乳腺科などを受診することで、早期発見につながります。
乳がん検診も、がん対策として住んでいる市区町村などが実施しています。40歳以上を対象に2年に一度のマンモグラフィによる検診が推奨2)されています。自覚症状がなくても検診を受けることで早期発見できる場合があります。
さらに、近年の医療の著しい進歩と臨床データの蓄積によって、「将来、乳がんなどになりやすい遺伝子の変化があるか」を調べることが可能になってきました。
がんは遺伝子の変化が原因で起こる病気です。遺伝子は、生活習慣や環境、ウイルス感染や細菌感染などによって変化するほか、生まれ持った体質としての遺伝子の変化が、がんの発生に強く関連していることがあります。この場合、がんになる確率が高く、親から受け継いだ体質は子へ受け継がれる可能性もあります。
乳がんや卵巣がんの中には一部にこのような遺伝性のものがあり、「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)」と呼ばれます。実際にがんを発症するかどうかや発症する時期はわかりませんが、将来のがんのリスクを把握することで検査や予防など医療的に備えられることは多く、この体質かどうかは「BRCA1/2遺伝子検査」という血液検査によって調べることができます。BRCA1あるいはBRCA2遺伝子において、がんの発生に関わる変化があるかないかを調べる検査です。変化がある場合はHBOCと診断され、体質として乳がん、卵巣がん、膵臓がんなどの発症リスクが高いことがわかっています。がんを発症してから検査で明らかになる場合もあります。
ふだんの何気ない会話で「うちは“がん家系”だから」と言ったり聞いたりすることがあると思いますが、がんの中でも「遺伝性のがん」は一部であり、家族をはじめとする血縁者にがんを発症した人が複数いたとしても、それが遺伝性のがんかどうかは遺伝子を調べないとわかりません。反対に、家族にがんを発症した人がいなかったとしても、がんの発生に関わる遺伝子の変化を生まれつき持っている場合もあります。
知られていない現状
がん対策の推進が求められている昨今、こうしたことをどれだけの人が知っているでしょうか?ミリアド・ジェネティクス合同会社が2024年に実施した「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)実態調査」では、7割弱が「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)を知らない」と答え、8割弱が「医療機関で遺伝子検査を受けて診断されることを知らない」と答えています。
医療技術の著しい進歩によってがんの原因となる遺伝子の変化に基づく診断や治療が可能になってきた一方で、私たちの多くはその存在をも認識できていない状況であり、がんの発症リスクが高かったとしても積極的な対策につながらない人がいることを示しています。
2020年4月から、一定の条件にあてはまる場合は先述の「BRCA1/2遺伝子検査」が保険診療として認められています3)。ただ、現在のところは、乳がんや卵巣がんを発症している人を対象にそれが遺伝性かどうかを調べる範囲にとどまっています。
神奈川県横浜市では、2024年11月からこの検査費用等の助成を全国で初めて開始しました4)。保険診療の対象とならない範囲もカバーしている内容であり、自治体の“先手”のがん対策と言えます。経済的な心配なく検査を検討できることは多くの人の不安を減らすことに貢献するでしょう。
保険適用の拡大を
もしHBOCとわかった場合、どうしたらいいでしょうか? 本人や家族の不安や心配が増すだけでは検査の意味がありません。
がんを発症してからわかった場合、がんの手術方法を決めたり、効果を期待できる薬剤を選択したりするなど、治療方針を決定する上で大きな役割を果たします。また、がんを発症していない乳房を切除したり、卵管・卵巣を摘出したりすることでリスクを減らす予防的な手術を保険診療で受けることができます。これは選択肢の一つであり、個人の価値観、結婚や妊娠・出産の計画などによって考え方は異なるので、主治医や家族と話し合った上で慎重に検討することが大切です。手術を希望しない場合は精密検査などを定期的に受けていくことががんを早期発見するために重要となり、これも保険適用となっています。
一方、がんを発症していない場合は、HBOCとわかっても保険診療の対象とならず、高いリスクに対して自費で対応することになります。若い世代の将来を考えれば、保険適用の拡大を検討してほしいと考えます。
HBOCを知ること 考えること
“がんの発症リスクが高い体質”とわかることは個々のがん対策として有効ですが、自分はもちろん家族にとってもセンシティブな問題を抱えることになります。「知りたくなかった」と思うこともあるでしょうし、知ってからの戸惑いもあると思います。
遺伝子検査を受けるかどうかや、診断されたあとの対応については、医師に加え、専門の知識を持つ「遺伝カウンセラー」に相談できることも知っておきましょう。医療技術の進歩と並行して、本人や家族が安心して医療を受ける環境も整ってきています。疑問や不安をクリアにした上で、納得して選択することがもっとも重要です。
同時に、HBOCの人が安心して検査や治療を受けるためには、社会全体に、遺伝性の疾患についての正しい知識と理解が求められます。11月8日は「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)を考える日」。まずは知ること、そして自分にできることを考えることからはじめてみませんか。
- 1)国立がん研究センターがん情報サービス「累積がん罹患リスク(2020年データに基づく)」
- 2)厚生労働省「がん予防重点健康教育及びがん検診実施のための指針」
- 3)一般社団法人 日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構 「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)をご理解いただくために ver.2023_1」
- 4)横浜市「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC) 検査費等助成」
森 まどかさん プロフィール
医療・健康・介護を専門とするCS放送局のキャスターを経て、医療ジャーナリストとして独立。報道・情報番組での解説やコメンテーター、Webメディアでの執筆、シンポジウムのファシリテート等に加え、がん啓発に関する医療コンテンツの企画・プロデュースは20年を超える。日本医学ジャーナリスト協会正会員 健康経営エキスパートアドバイザー。
「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)を考える日」制定記念イベント
共催:ミリアド・ジェネティクス合同会社 / 株式会社エスアールエル
開催日:2024年11月7日
結果報告の動画はこちら
[再生時間:12分38秒]
トークセッションの動画はこちら
[再生時間:32分5秒]